2011年(平成23年)
2006年(平成18年)ころから、勝義君とは月1、2のペースでプレーしてきた。2011年からは謙ちゃんが加わり、月1のペースでオープンコンペに参加することにした。勝義君はとにかくゴルフ大好きでプレーが早いし飛距離が出る。現役時代は会社関係者と週1のペースでコースに出ていた様子。謙ちゃんは若い頃はよくプレーしていたが、しばらくゴルフから離れていた。退職で復帰し生来の運動神経と研究心が強く、練習熱心で柔軟性がある。アルペンは午後になると風が出て来て、いくつも池にボールを落としたことか。
斎藤裕子プロとニアピンコンテスト! 風もありなかなかグリーンにオンしなかった。 プロはウッドを使ってワンオンに成功する。
2013年(平成25年)
2013年(平成25年)6月26日・27日
網走の佐々木孝夫君を訪ねる
朝7時半頃の特急オホーツクに乗り、12時半ころ網走に着く。行程5時間。駅に迎えてくれた孝夫君の案内で名所めぐり、写真は「網走監獄博物館」、戦時中は政治犯が多く収監されていた。ほかに有名な話は白鳥受刑囚で、歯で5寸(15センチ)の釘を抜いたという伝説が残っている。オホーツク海からの冬の北風は、厳寒の中で廊下に1こしかないストーブはなんの足しにもならない。想像できないほどの寒さだっただろう。現在の新しい監獄は、市の北東にある。
「流氷博物館」ではクリオネを見た。「天都山」から知床半島を眺望したが、曇りで見えなかった。翌日、ちょっと雨にあたったが、「モヨロ貝塚」や網走港を見て回った。
着いた日の夕食後、自宅でコーヒーを飲みながら、孝夫君の網走支庁など現役時代の様子を聞いた。知床の自然遺産申請にあたって測量を任された。知床5湖の測量を数週間かけて、ハンターや職員や作業員を伴い測量責任者として、林やクマザサの中を歩き回りその測量を成し遂げた話を聞かされた。時間がたつのを忘れて聞き入った。素晴らしい。人間『何をしたか』が問われる。
夕方5時半の特急オホーツクに乗り帰った。かねてからの網走訪問は大変良かった。孝夫君ありがとう。好きな酒もセーブしながら健康には十分気をつけることを願っている。
2014年(平成26年)
2015年(平成27年)
2015年(平成27年)6月17日
KKRホテル札幌
2017年2月23日尾形勝夫君と会食。中学校卒業後、就職しながら定時制高校を卒業し、さらに夜間大学を卒業する。その後一念発起し、鍵専門の会社を興した。こつこつ仕事を進め、約束を守り、正直にやり遂げる人柄に次第に「信頼」が高まり、仕事の受注も少しずず増えていった。人柄が顔によくでている。
今では、公的機関やホテルなど定期的に鍵の交換など忙しい日々とのことである。また、毎朝街頭に立って小学生の登校の安全指導に奉仕している。道警からその長い間の功績に対して感謝状が授与された。なかなか出来るものではない。素晴らしい。
人間『何をしたか』である。勝夫君ありがとう。
酒が好きなようだけれども、健康には十分気をつけて暮らしてほしいと願っている。
2019年(平成31年)
2019.7.4朝日町を訪ねた。上志文町から朝日町に入る「第2あさひばし」の上から幌向川を見た。かつては朝日炭鉱をはじめ美流渡、万字、万字炭山には大小多くの炭鉱があった。選炭場から流れる炭塵で真っ黒な水が流れ、川底には泥が溜まっていて水が澄むことはなかった。昭和30年代半ばから次々と炭鉱が閉山し、その活動に終止符を打つとともに川は次第に元の澄んだ流れに変わった。素晴らしい眺めだ。きっと魚やざりがにも戻ってきているだろう。
伊勢幸広君の家の前でツーショット、元気な様子が伝わる‼
下の写真は校門があった場所。ここを通ってグランドを横切り玄関に入っていった。写真は校舎跡で、横1列の長い校舎と左にあった体育館はその痕跡がない。 幌向川を隔てた裏山の林が生い茂り、山自体がずいぶん近くに迫って見える。
今はパークゴルフ場としてよく整備されており、町民の交流の場となっているとのこと。