前列左から河合、小山田、竹林、照井、久保田先生
後列左から徳山、高橋、南用務員さん、斎藤教頭先生、沢田校長先生、佐坂先生
朝日郵便局の隣にあった炭鉱の住宅(1棟4戸)の1戸に、久保田先生と一緒に自炊生活を始めたころです。隣には河合先生が高校生の息子さんと住んでいました。
日曜日になると、4,5人が遊びに来ておやつのお菓子を買ってきて出しても最初は誰も食べなかったが、ちょっとその場を離れると競争して食べていた。
4年生の皆は元気すぎてちょっと落ち着きがなかった。勉強中に岩男ちゃんが席を立って友達の座席のところへ行ったり、話しかけたりして注意すること毎時間だった。全体の様子を見るために、しばらく見守った。その後、座席を変えて1番近いところに岩男ちゃんの席を決めて目が行き届くようになった。
お楽しみのお昼の弁当の時間、おにぎりを口いっぱいにほおばり「美味しい‼」
帰り道、岩男ちゃんちょっと疲れたか?誠次君の肩を借りて歩いている。
そんなもんじゃ野球やれんぞ!ガンバレ!
昭和32年7月の夏休みに朝日小学校の職員旅行があった。支笏湖畔に宿泊し、翌日久保田・林倉・徳山各先生と樽前山の登山に出かける。湖畔から平らな登山ルートを約1時間かけて麓に着いた。火山なのでガレ場のルートを40分ほどかけて溶岩ドームの近くに着いた。それ以上は登れない。そこからは支笏湖や隣の風不死岳、対岸に恵庭岳、さらに羊蹄山の眺望が素晴らしい😊
当時は朝早く室蘭線につながる万字線の列車がなく、朝日炭鉱のダンプカー2台にゴザを敷き、男女別にその荷台に乗って志文駅まで行った。志文駅で室蘭線の普通列車に乗り、最初の見学地の王子製紙苫小牧工場へ向かった。
昭和新山(標高398m)は有珠郡壮瞥町の畑作地帯に隆起してできた火山。
1944年(昭和19年)6月23日第1次大噴火が始まり、10月末までに17回の大噴火を続け、12月に溶岩ドームの隆起が始まった。1945年(昭和20年)9月20日溶岩ドームが175mまで成長しておさまった。当時地元の郵便局長三松正夫は昭和新山の成長観測記録を作り、貴重な資料となった。三松正夫記念館に展示されている。
男子26人女子26人計52人の卒業生。四年生の頃は落ち着きのない学級だったが、六年生になったとたんにガラッと変わった。最上級生としての自覚が生まれ、担任としても誇れる生徒に変わった。
卒業式では宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を全員で読み上げ、感動的な卒業式だった。
先生方は、今は多く他界されているが、当時は新卒新米教師の集まりで若さにあふれていた。
後列 八鍬先生 高橋 大垣内先生 末岡先生 浪田先生 中田先生 浅田先生
前列 大黒先生 北側校長先生 佐坂教頭先生 斎藤先生
中学校1年生の夏休み、1年B組が宮村へ炊事遠足に出かけた。当日は天気も良く、皆は料理つくりや薪集めなど手分けをして進めた。作ったご馳走は出来栄えはどうでもいいのだ‼ 自分たちで作ったのだから美味しいのだ‼😊
昼食を済ませた後は自由に遊んで楽しんだ。男子はあまりの暑さにちょっと開けた流れで、泳ぎ始めた者もいた。とにかく楽しい思い出になった‼😊
毎年行われている「雪まつり」で1年B組は、『札幌時計台』を制作した。毎日放課後にみんなで作った。何日かかったのかな?大きな雪像になった!
「鐘の鳴る賞」を貰った‼😊
小学校卒業以来13年ぶりに河合先生、佐坂先生を招待して、岩見沢でクラス会をする。13年も経つと、ずいぶん変わって名前と顔が一致しない。それでも、ひと言ふた言話し出すと、もう当時にタイムスリップしてよみがえる。